フィットネスの勧め 語句解説

日記 - 2018年 - 5月

 

5月23日(水) 「 あれから40年以上が過ぎたのか…( 完 ) 」

 

 新東京国際空港(当時の呼称で現在では「成田国際空港」が正式名称)の建設の反対運動 (opposition movement) は、土地を半ば強制的に収容された地元の農民たちの反対同盟によって始まったが、すぐに「日本の新左翼」が支援を開始し、激しい実力行使やゲリラ闘争が行われ「三里塚闘争(別称:成田闘争)」と呼ばれた。

 当時、「バイクがあれば人生は最高だ!」と毎日のようにバイクを乗り回し、勉強など一切しなかったおバカな私でも、毎日のようにニュースなどで反対運動の激しさを見聞きしていたので「なんだか大変なことになっているな〜」くらいの感覚はあった。そして、その闘争の激しさは日本のみならず世界中に知れ渡ったのである。つまり、泣く子も黙る「成田闘争」となった。 確か反対派と機動隊の双方とも犠牲者 (victim/casualty) が出ているはずである。

 反対運動は開港直前までつづき、開港2ヶ月前には、すでに準備段階にあった管制塔が過激派によって占拠されるなどの事件が起きている。そして、厳戒態勢の中、1987年5月20日に開港式典を迎えることとなったわけである。もちろん、開港してからもかなりの期間、厳重な警戒態勢が続いたことは言うまでもない。

 さて、4年後には3本目の滑走路 (runway) が完成する予定で、完成すると離着陸のキャパが1.7倍になるとのことである。LCCの台頭もあり、特にアジア各国からの便数が増えていて、その傾向は今後も続くことになるはずである。個人的には滅多に利用しないが、利用するときには多くの犠牲のもとに成り立っている空港であることも忘れてはいけないような気がしている今日この頃である。