プロフィール
       

トッピクス-

 

 

 

 

 

 

■恐ろしいものを見てしまった!■

 デッキに出て目の前のの景色をしばらく眺めていると、貨物船の往来も目立つようになり港が近いことが感じられた。そして、小さな湾の奥に比較的大きな建物が視界に入ってきて、すぐにそれがナホトカ港であることは分かった。

 港が近づくにつれて、カーキー色の制服を着た作業員が着岸に備えて準備しているのが目に入ってきた、すると「間もなくナホトカ港に着くので下船の準備を」というアナウンスが船内に流れたのである。

 まあ、「準備」と言っても、私の場合は、2段ベッドの枕元や足元に散らかっているシャツや旅行のガイドブックである「地球の歩き方」をバックパックに詰め込むだけなので、2、3分もあれば済んでしまった。そして、バックパックを背負い部屋を出たのだが、すでに乗降口に通じる通路や階段は大きな荷物を片脇に置いている人で一杯であった。

 下船するのに20〜30分くらいはかかったような気がする。タラップを降り、初めて自分の生まれた国以外の地に足を踏みしめることとなった。8月だが、一応、ソ連ということで薄手のセーターまで用意してきたのだが、やけに蒸し暑い。これが通常のこの時期のナホトカの気候なのかどうかは分からなかったが、ツアーのメンバーとも自然と「何か蒸し暑いね〜」という会話になり、徒歩で目の前にある港湾の建物内の税関へと向かった。

 初めての海外であったので見慣れた風景とは言えないが、ガイドブック等に書いてあるように金属探知機のゲートをくぐり、手荷物検査を受けて晴れてソ連に入国した次第である。もちろん、怪しまれるようなものは一切所持していなかったので、それほど心配はしていなかったが…。

 同じツアーのメンバーもみな無事に入国の手続きを終え、一つの場所に集まり、とりあえず異国の雰囲気を味わっていた。私は、何をするわけでもなく、他の乗船客の入国の手続きを見ていたときのことである。

 問題なく入国するものがほとんどであったが、中には金属探知機のゲートで「ブーッ!」とブザーが鳴る人もいたが、首にしているペンダントやポケットのライターなどを取りだすと2回目にくぐるときにはほとんどがパスしていった。

 しかし、年齢的には40半ばくらいの日本人の男性であったろうか、1回目にゲートをくぐりブザーがなったので、ポケットに入っていたものをトレーに出して再びゲートをくぐった。しかし、またブザーが鳴ってしまった。「おかしいな、これが原因かな…?」という感じで次にベルトを外し、首のネックレスも取って再びゲートへ…。しかし、またまたブザーが鳴ってしまったのである。

 すると、すぐ横で待機していた身長190cm以上はあるとみられる軍服姿の頑強な男性2人が、その日本人の両脇を抱えて有無を言わせずどこかへ連れて行ってしまったのである。私は今でも鮮明に記憶に残っているのだが、彼の足は明らかに宙に浮いていてバタバタしていた。

 一部始終を見ていた私は「うわ〜、恐ろしいものを見てしまった!この国での行動には細心の注意を支払わないと…」肝に銘じたのであった。

 

■ナホトカからモスクワまで■

 ツアーのメンバー全員が集合したところで、私たちはナホトカの駅に向かった。ナホトカからハバロフスクまでは15時間強の列車の旅。

 列車は寝台車付きで、1部屋4人のコンパートメント。つまり、2段ベッドが2つある形で、よく見かけるタイプのものだと思う。定かではないが、想像するに、同じ船でナホトカに着いた人たちはほとんどが同じ列車を利用したのではないかと思う。

 もちろん同じコンパートメントのメンバーは同じツアー客で、横浜からの2泊3日の船旅で寝食を共にしてきた人たちなのである程度の気心は知れている。

 列車そのものは、まあ、お世辞にも「最新式の」とは言い難いが、こうでないと厳寒のリベリア大陸は疾駆できないという感じの頑丈な作りをしていた。そのためかどうかは分からないが、各車両ごとにあるドアの開閉がとにかくしんどい。まず、片手ではびくともしない。両手で、しかも体重をかけてやらないと動かない。はっきり言って日本人の女性には開けることができないだろうと思う。

 最初、慣れずに私が開けるのに苦労していると、私よりはるかに小柄な女性の車掌さんが、「どれどれ、私に任せて!」とばかりに私を脇にやると、これがいとも簡単に開けるのである。くそ〜、でも、まずは日本男児の1敗。

 さて、窓から見る景色は、「荒涼としていて」とまではいかないが、夏とあって牧草なのかどうかは定かでないが、背の低い草で覆われた平地にところどころに林が点在しているという単調なものが続いた。そして、時折、小さな駅に停車した。

 停車時間もまちまちであったが、それほど余裕があったものではなく、下車して周りを散策するほど時間は長くなかったので、多くの場合は車窓から身を乗り出して「どんな人たちがいるのかな?」とキョロキョロしたのだが、田舎のためか人影も少なく、時折視界に入る人も小太りな年のいった人たちばかりで、近所の人が閑だから列車を見に来た、というものであった。

 しかし、我々のツアーはハバロフスクから飛行機でモスクワに行くので、乗車時間も15時間ほどだが、中にはそのままシベリア鉄道でモスクワに行く人たちもいるようである。その場合は1週間近く列車の中で過ごすことになり、とても腰痛持ちの私には耐えられない。

 15時間の列車の旅なんて就寝時間も含めたらあっという間に終わってしまった。「もうちょっと乗っていたかったな〜」という気がしないでもなかったが、この「もうちょっと」がただの「もうちょっと」ではないので、旅の選択肢はこれしかなかった。

 ハバロフスクの駅に到着すると、確かバスでだったように記憶しているが、空港まで移動した。後は飛行機で一気にモスクワまで移動したのだが、一体、飛行時間がどれくらいだったのかは全く覚えていない。機内で唯一鮮明に覚えているのが、食事に出たパンである。

 トーストしていない日本でもよく見かける四角形のパンなのだが、これにバターを塗り、その上にたっぷりとイクラを乗せていくのである。「現地の人はイクラのこんな食べ方をするんだ!」と驚きながら頬張ったが、これがなんとも美味なのであった。

 

 

 

備考