四方山話

      

     

タイ・マレーシア フィットネス紀行/四方山話




非常に危険な香りがする。

 宿の近くのブキッ・ビンタン通りの交差点で信号待ちをしていたときのことである。隣に男性に立っていた男性に声をかけられた。
  「どこから来たんですか?」
  「日本から」
  「日本から?マレー人かと思ったよ。家族と一緒かい?」
  「いや、一人だよ。」
  「オレはフィリピンから来たんだ。いとこがこっちに住んでいるんだけど、今週の木曜日に結婚するので、式に出席するために父と妹と来たんだ。土曜日にはフィリピンに帰るんだけど…。」
  「そうなんだ?!」
  「そうそう、実は妹が今度、看護婦として日本に半年間研修に行くんだけど、両親は心配して反対しているんだ。ちょっと時間を取って、日本は安全な国だから心配ないと説明してくれないか。また、会えるかい?」
  「ちょっと忙しくて、約束できないな。」
  と適当にごまかして彼とは別れたが、この手の話は非常に「危険な香り」がする。こういう声のかけられ方も久しぶりである。タイではめったにないのだが…。
  こういう話をすると、誤解する人も出て来てフィリピンの人に申し訳ないと思うのだが、私が体験した本当のことなので、少し記したいと思う。
  もう18年近く前のことであるが、北部のバギオから南部のボラボラ島など1ヶ月近くかけてフィリピンを回ったが、正直言うと、フィリピンを旅行するのは非常に疲れる。フィリピン人がみんなそうだというつもりは毛頭ないが、何とか「カモ」してやろうと旅行者に声をかける輩が非常に多い。
  そういうのは、お店の前で「お土産、どうですか?」とか「食事していきませんか?」とは本質的にことなる。
  通りを歩いていたり、信号待ちをしているときに声をかけられるわけだが、最初は「どこから来た?」「どのくらい滞在するんだ?」「一人旅か?」などの会話から入り、決まって「今度、妹が日本に行くのでいろいろ話を聞かせて欲しい。」となるのである。しかも、看護婦であることが多い。
  日本で、正式にフィリピンやタイから研修という形で受け入れているということを、ニュースか何かで聞いたころはあるが、この場合は、ほとんど本当のことではないであろう。だいたいは、親しくなって睡眠薬入りの飲み物を飲ませて、身包みはがして道路などに放置されるか、賭けトランプなどをして有り金を全部巻き上げられるか、カードなどで高額な商品等を買わされるかのどちらかになる。
  とおりなどを歩いていると、しつこくずっと付きまとってくるのである。そういうのが毎日最低1回はある。通りで行きたい場所の方向が分からなく、立ち止まって地図などを見ていると、「どこへいくのだ?」などと声をかけられることもしばしばなのだが、そういう場合でも、結局は「妹が…」という話に終わることも多い。
  そうすると、本当に親切心で声をかけてくれている人との区別がつかなくなってしまう。
  無視するのが一番だが、話しかけている相手を全く存在していないかのように無視することもできない。そういうときは英語が全く話せない振りをし、日本語で「英語、全然分からないだよね。一体なに言ってるの?ちょっと急いでいるので、悪いね!」みたいに答えることにしていた。
  相手もそう簡単にはあきらめないが、英語が通じないということは意志の疎通ができないということになり、それは「カモ」にできないということを意味するので、1、2分もやり取りしていると「こいつはダメだ。」という感じであきらめてくれる。
  それでも、気を許したために次のようなことも経験した。
  「地球の歩き方」片手にお目当ての宿を探していたがなかなか見つからない、道行く男性に尋ねてみると、「連れて行ってやる。」とのことで、彼の後に続いた。2、3分も歩くと宿が見つかりチェックインしたのだが、彼が「おじさんがホテルに勤めていて、日本人の観光客も多い。いろいろ日本について知りたがっているので、教えてやって欲しい。」というのである。
  この場合は、私から彼に声をかけたし、親切にしてもらったので断る理由はなく、「OK」と返事をした。すると彼は、タクシーで町の中心から少し外れた住宅地に私を連れて行った。
  家の中に入ると、彼のおじさんという50歳前後くらいの男性と、たぶん奥さんと思われる女性がリビングでくつろいでいた。「日本のどこに住んでいる?」とか「いつ帰るんだ?」などありがちな会話をしばらくしていると、このおじさんは私にこう言うのである、
  「俺はホテルのカジノで働いている。どうだ、カジノにギャンブルにしに来ないか?お前に勝たせてやる。勝った分は2人で山分けをしよう。いくら持っている?」
  やっぱりこの手の話であった。わざわざタクシーに乗って町外れまで来て…。100%危険な香りのする話であったので、
  「ギャンブルには全く興味がないし、お金はマニラにいる友達にほとんど預けてしまって、ぎりぎりしかもっていない。」
  もちろん相手もすぐにはあきらめてくれない。
  「現金でなくても、カードがあれば構わない。必ず勝たせてやる。二人で一儲けよう!」
  危険な香りがプンプンである。匂ってきてしょうがない。そのうち、女性のほうが人数分ビンビールを運んできた。中を見ると少し凍っていた。「飲め」と勧めてくれたのは良いが、当然素直に口にできるものではない。「もしかして睡眠薬入りでは…」という不安が頭をよぎる。
  ただ、ここで私を眠らせてもほとんど手持ちの現金はないし、一応、栓はついていて、開けられた様子はない。それに他の男性人は栓を開けて飲んでいる。以上の状況を細かく分析(?)した結果、脳の神経細胞から「安全だ、飲め、飲め!」という信号が送られてきた。
  これはもう飲むしかない。下心があるにせよ、せっかく勧めてくれているものを断っては日比友好関係にヒビが入りかねない。
  かくして、ビンの栓を「シュポッ」と抜き、グイグイと乾いたノドを潤すのであった。
  その家には小一時間もいたであろうか、「カモ」にできないと判断された私は無事に解放され、家まで連れてきた男性と再びタクシーで宿まで向かったのである。
  また、こんなこともあった。植物園を訪れ、園内のベンチで腰を下ろして休憩していると、25歳前後と思われるアベックが話しかけてきた。当然、会話の始まりは「どこから来たの?」「フィリピンは初めて?」と毎度お決まりである。
  しばらく会話していると、「今晩、夕食を一緒に食べよう。ご馳走してやるよ!」と誘われた。特に用事もなかったし、毎日一人で食べる食事が続いていたので、「たまには」くらいに軽く考え、待ち合わせの時間と場所を決め彼らと別れた。
  彼らは、待ち合わせ場所には遅れることなく現れた。男性のほうが、レストランに行く前に銀行でお金を下ろしたいということなので、銀行まで一緒について行くと、すでに閉まっていた。彼はこう言うのである、
  「困ったな、お金を下ろさないと手持ちのお金がないんだ!迷惑でなければ、明日必ず返すから、少し貸してくれないか?」
   そこで断っても良かったのだが、せっかく待ち合わせをしたし、ギリギリの予算で旅をしているわけでもなかったので、
  「いいよ。でも、貸したお金は必ず返して欲しいんだ。そうでないと、マニラまで帰ることができないので、非常に困るんだ。」
  「もちろんだよ。明日の午前中には必ずホテルに帰しに行くよ!」
  中級くらいのレストランでショーを見ながら食事を済ませ、3人分の食事代(5,000円から6,000円くらい支払っているように記憶している。)は全て私が支払った。
  「じゃ、明日の午前中、必ずホテルに返しに行くから。」
  という彼の言葉を再び聞き、ホテルに帰る途中で彼らとは別れた。
  結果を言うと、私が払った食事代は戻ってくることはなかった。翌日の午後にはバスに乗り、マニラまで向かったのである。
  向こうも最初からだますつもりで私に近づいたかどうかは定かでないが、いずれにしても、私がもう少し注意していればこのようなことは回避できたはずだ。
  あれから18年経つが、今回、クアラルンプールでこのように声を掛けられたということは、今もあまり状況が変わっていないのであろう。

 後日談になるが、クアラルンプールから再びバンコクに戻り、帰国まで3、4日というときに、チャトゥチャックのウイークエンドマーケットにお土産を買いに行った。普段お世話になっている人へのお土産を一通り買って、BTSの高架鉄道のモチット駅まで向かおうと、マーケットのすぐ横にある公園の中を通り抜けていた。
  すると、「Hello!」と誰かが私に声をかけているような気がしたので、キョロキョロしていると、前方の木陰でござの上に座っている男性が右手を上げてニコニコしているではないか。最初、誰だか分からなかった。
  「こんなところで、私に声をかけてくるなんて誰なんだろう?フィットネスクラブの人かな?」なんて、ちょっと首をかしげていると、その男性は「In Kuala Lumpur」というので、思い出した。クアラルンプールで声をかけてきたフィリピン人だった。
  「こんなところで何しているの?もう、フィリピンに帰ったんじゃないの?」
  「いや、クアラルンプールの後、バンコクに来るって言っただろう。」
  なんて言っているが、そんなこといちいち覚えているわけがない。横には女性がいてニコニコ笑っていたが、彼の話が正しいと、日本に行く予定の「妹」のはずである。「日本に行く」という話が本当であれば、もう一度そのような話が出てもよさそうだが、そのような話は一切出なかったし、ほとんど私には興味がないようである。
  私も、「元気で!」と言って、駅に向かったのであった。



 

モノレールのブキッ・ビンタン駅。左の緑色の建物は有名ブランドもののショップや「Isetan」が入っている「ロット・テン」



ブキッ・ビンタン通り。通りの左右にはレストランやマッサージ店が並び、日曜日ともなれば非常ににぎやか。


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