四方山話

インドシナ半島フィットネス紀行/日記 - プロローグ

 

「 卓 球 (その2)」


 去年(2016年)の10月ころまでは、現在、会員になっているフィットネスクラブの「卓球の時間」を利用して2、3年に1回くらいの割合で気分転換に卓球をしていたわけだが、相手をしてくれた人は、家の建て替え中に仮住まい生活をしていたときの大家さんである。

 彼も同じフィットネスクラブの会員で、会員の中では最も親しくしている人であった。いつも私の方から「卓球でもしませんか?」と誘っていた。つまり、最も「誘いやすい人」であったわけである。もし彼がいなければ「卓球をしよう」とは思わなかったかもしれない。

 「卓球の時間」になれば誰かしらやっている人はいるわけで、別に彼がいなくてもスタジオに行って「私も混ぜていただけますか?」と言えば「どうぞ!どうぞ!」という答えは帰ってくると思われる。しかし、「一応、普通くらいにならできるかな…」くらいの感覚があれば別だが、過去において本格的に行ったこともないし、下手をすれば何十年もラケットなど握っていないくらいなのだからとてもそういう気にはなれなかった。

 ふと「現在のフィットネスクラブで卓球を行う前は最後にいつやったのだろうか?」という疑問が浮かび、思い出そうとしてみたのだが、これが皆目見当がつかない。もしかしたら社会人になってから1回も行っていない可能性もある。もしそうであれば、25年くらいは全くラケットやボールに触れていないことになる。

 もちろん、学生時代にしても、大学生のころにやった記憶はほとんどない。ただ、高校生1年生のときは、空き教室に卓球台が置かれていてそこで一時期やったような微かな記憶がある。ラケットなども、マイラケットを持ち歩いていたことは考えられなく、学校側が用意していたものを使っていたと思うのだが、その辺の記憶もかなり曖昧となる。

 それ以前はというと、小学生の時に母親と一緒にやった記憶が微かに残っている。なんとなく「市の体育館みたいなところに行ったのでは…?」と思っているのだが、「それが何年生のときだったのか」、そして「どれくらいの頻度でおこなったのか」となるとすっかり完全消去状態。

 小学生の時は、決して野球が得意であったわけではないし、父親とキャッチボールを始めたのも4年生の時くらいからだと記憶しているのだが、5年生のときから少年野球をやり始めた。そして、やはり5年生くらいだと思うのだが、ボーリングが一大ブームとなり家族で何回か行くうちにちょっとはまってしまった。週に1回だけだったが(おそらく平日の夜だったと記憶している)ボーリング場の会員になってジュニアの教室通った。もちろん、マイボール、マイシューズは当たり前で、アベレージは180〜190くらいだったはずである。何か大人に交じって大会に参加したりもした。それらのことを考えると、母親と卓球をしていたのは4年生くらいなのかもしれない。