四方山話

インドシナ半島フィットネス紀行/日記 - この旅を終えて

 

 

この旅を終えて


 

日本でも同じなのだろう?

脳は覚えている。

無事帰国

次はいつになることやら…。

 

■ 日本でも同じなのだろう? ■

 バンコクからミャンマーのヤンゴンに向かおうと、ドンムアン国際空港の搭乗ロビーで何気なく外を眺めていたときのことである。航空機への荷物の積み込み作業がたまたま視界に入って来たので「ちょっと動画でも撮っておくか!」とポケットに入れておいたカメラを手すりの上に置いて動かないようにしてスイッチをオンにした。そして、動画の録画ボタンを押してズームの倍率を上げていくと、液晶画面は作業員の顔が認識できるくらいまでになった。

 しばらく撮影して「もう少し丁寧に荷物を扱えないのだろうか?」と思わざるを得なかった。そして、遥か昔のことを思い出した。私が大学時代に初めて海外旅行にいったときは、もう典型的なバックパッカーで、その時選んだ旅行用のバックパックはアルミのフレームがむき出しになったものだった。

 登山用のリュックも所有していたのでそれを使用しても良かったのだが、アルミのフレームのバックパックは、荷室がいくつにも分かれていたので収納にはとても便利だし、シュラフなどの大きなものは荷室とは別に収められるので出し入れがしやすくかった。よって、今から思うと、当時はその手のタイプのバックパックが主流だったような気がする。(最近は登山用品店などに行くことは滅多にないので分からないが、今回の旅でバックパッカーもたびたび目にしたが、その手のバックパックで旅をしている人は一人も見なかったので、現在は人気がないのだろう。)

 もちろん、そこそこの衝撃にも耐えられるようには作られているのだろうが、さすがに、アルミのフレームがむき出しになっているので、下の動画に映っているように投げて扱われればそのダメージは大きい。事実、2回目の海外旅行でフレーム部分の接続が外れてしまいほぼ使用不可となってしまったわけである。

 最近のスーツケースなどにしても、一昔前のものと比較すればかなり軽量で頑丈なものになっていると思われるので、多少雑に扱われてもそう簡単には壊れないのかもしれないが、それでも、ドンムアン国際空港で見た荷物の扱い風景は「別に…」と無視できるものではなかった。

 まあ、荷物を扱う方も「あ〜、かったり〜な〜」くらいの気持ちで扱っているのは明らで「お客様の荷物を取り扱っている」という認識は全くないのであろう。そこで、「日本の空港でも同じように扱っているのだろうか?」と思ってしまう。そうでないことを望むばかりである。

・ アルミのフレームのバックパック

 向かって左手のバックパックが最初の海外旅行(1980年)で持って行ったもの。 この手のタイプのバックパックは荷室がいくつかに分かれていたので、持ち物を整理するにはいろいろと便利であった。もちろん、訪れた観光地ではこの大きな荷物を背負って回るわけにはいかないので、デイパックは必需品となる。

 写真は、ちょっと記憶も定かではないのだが、おそらくフィンランドかスウェーデンあたりで撮ったものだと思われる。

 

■ 脳は覚えている。 ■

 プロローグのところでも書いているのだが、私はこの旅に出る前の3年半は禁酒状態であった。1回だけ正月に日本酒を口に含んだことはあったが、それは「飲んだ」と呼べるようなものではなかった。それ以外は、一切アルコールは口にしていない。(まあ、調味料等に入っていれば別だが…)

 過去にも「よ〜し、酒を止めるぞっ!」と2回ほど禁酒を試みたことがある。ともに8か月間くらいはなんとかやめることができたが、それ以上は無理だった。そして、私の場合、ひとたび飲んでしまうと、「週末だけ」とか「1日おきに」とはいかなくなる。もう毎日のように飲んでしまい、飲まない日は体調がすぐれない日だけとなる。

 今回の禁酒は、「酒なんか飲んでいる場合ではないだろう!」という気持ちが過去のものよりはかなり強かったので何とか続いていたのだが、それでも、まあ、ちょっと大袈裟かもしれないが、決して「平坦な道のり」ではなかった。特に、父親が亡くなった時にはなかなか眠れない日が続いたので「ちょっと飲んじゃおうかな〜」と気が緩んでしまったが、何とか耐え忍ぶことができた。

 ただ、今回、海外に行くにあたって、はなから「海外に行ってまで禁酒をするのは無理だ」ということは分かっていた。よって、「旅行中もとりあえずできるだけ飲まずに我慢してみよう」などと思うことは微塵もなかった。最初から「海外は別」と割り切っていた。よって、「帰国したらまた禁酒すればいいや!」と思っていた次第である。

 旅行する前は「3年間全く飲んでいないので、ビールあたりでもけっこう効くんだろうな〜。500tの缶ビールあたりでけっこう酔っぱらったりして…」と思っていた。さすがに、現地に向かう機内では飲む気にはなれず、ベトナムのホーチミンに到着した日に3年半ぶりにビールを口にした。「さ〜て、どんな感じなんだろう…」と、缶ビールのフタをプッシュっと開けて、少し緊張しながら口に運んだのだが、これがなんと、3年半のブランクなど全くなかったかのようにスーッと胃の中に入っていったのにはちょっと驚いてしまった。

 3年半も経過すれば肝臓の細胞はすっかり新しいものに入れ替わっているが、脳の神経細胞はそういうわけにはいかない。よって、「脳は忘れないで、覚えているんだな〜」と思わざるを得なかった。ちょっと話は違うが、以前、確かテレビの番組だと思うのだが、医者だったのか、それとも過去に麻薬を使用していた人の話だったのかは忘れてしまったが、「1度、麻薬を使用してその快楽を覚えてしまうと、脳は一生覚えているものである」と言っていたのを思い出した。

 もちろん、「だから1度やったら絶対に止められない」ということではなく、止められるかどうかはその人の精神力次第ということになる。一生忘れない脳の快楽の記憶との戦いになる。アルコールも「合法麻薬」みたいなものなので基本的には同じなのだろう。

 さて、今回の旅行中だが、「もう1度飲んだら毎日飲んでしまうだろうな〜」というのは分かっていた。事実、ミャンマーで体調を崩して医者に診てもらった翌日以外は飲まなかった日はない。毎日、気温が30度を超すような場所にいたので、ビールがまた美味しんだ!特に、体を動かして汗をかいた後は最高である。

 今回は、ビール以外は口にしなかったので二日酔いになることはなかったが、10年前に、やはり8ヶ月間の禁酒中に韓国に行ったときは、ビールの後にみんながおいしそうに焼酎を飲んでいたので真似したら、滞在2日目にして二日酔いで「頭痛て〜!」となってしまった。一応、今回は学習能力が働いたようだ。まあ、東南アジアでは、韓国ほど頻繁に焼酎のような強い酒を飲んでいる人を見かけなかったのも幸いしたかもしれない。

 毎日、気温が30度を超えるような国でビールを堪能していたわけだが、「こんなに毎日のように飲んでいて、また帰国してから禁酒ができるのだろうか?」という一抹の不安は正直あった。ただ、旅行中は「よ〜し、帰国したらまた禁酒するぞっ!」と何回も自分に言い聞かせていたので、再び禁酒状態に入るのはそれほど辛い思いをしなかったので「よかった!」と安堵している。

・ ベトナム・ホーチミン

 ベトナムでは外で飲むこともあったし、コンビニなどで缶ビールを購入して宿で飲むことも多かった。

・ カンボジア・プノンペン

 プノンペンでは、外で夕食を取るときに飲むこともあったが、宿の近くにはいわゆる「大衆酒場」みたいなものがなかったので、宿で缶ビールを飲むことが多かった。写真は宿の中庭で撮ったもの。

・ タイ・バンコク

 最初の宿のマーヴィンスイーツでは、宿の周りに適当な大衆酒場がなかったので宿で飲むことが多かったが、次の宿のレトロアシスでは、周りに飲むところがたくさんあったので宿の近くで飲むことが多かった。まあ、そういう場合でも、必ず宿に戻ってから飲んじゃうけど…。写真は、ナナプラザの近くの「フーターズ」で飲んだ時のもの。

・ ミャンマー・ヤンゴン

 ヤンゴンでは宿でも飲んだし、写真のような大衆酒場や居酒屋でも飲んだ。ビールが安いので助かる。まあ、強いて言うと「寿司屋」ではビールを出してほしかった!

 

■ 無事帰国 ■

 私の記憶違いでなければ「これから成田国際空港へ着陸のために高度を下げていきます。」というアナウンスが流れたすぐ後だった思う。ふと、機内の窓から眼下を見ると、日本列島はずっと雲に覆われていたのだが、1ヶ所だけ丸く雲が欠けている部分があった。しかも、その丸くかけた真ん中から雲の色とそれほど変わらない白い突起物が見えた。

 私は、飛行機がどの辺を飛んでいるのかは分からなかったが、「あれはおそらく富士山ではないかな〜」とずっと視線を向けていた。すると、「お客様にご案内します。只今、富士山が見えます。」という日本語のアナウンスが流れた次第である。私はそれを聞いて「どうせだったら、英語で案内してあげればいいのに…」とちょっと思った。

 私の隣の席には、おそらくご夫婦と思われる40代前半くらいのタイ人の男女が座っていた。雰囲気的に旅行目的のような感じであったので、私はすぐ隣の女性に「First trip to Japan?」と尋ねると「Yes」との返事であった。それで「今、富士山が見えるので席を変わってあげましょう。」と言うと。「えっ、いいんですか?」と言われたので、私は「全然かまいませんよ」と言いながら私は席を立ち、1つずつ席を詰めてもらって一番通路側のご主人が座っていた席に移動した。

 窓側の席に移動した奥さんは、窓の外を見ながら「えっ、どこ?どこ?」と言っていたので、私は「ほぼ真下ですよ」と伝えると、「あっ、本当だ!あれが富士山なのね!?」と少し興奮しているようだった。彼女はしばらく景色を楽しんだ後、「じゃあ、今度はあなた」とでもタイ語で行ったのだろう、隣のご主人と席を交換した。

 別に女性だから話しかけたわけではないのだが、再び奥さんが私の隣の席に来たのでちょっと話しかけてみると「日本には4日間滞在し、今日は浅草に滞在する予定です。」とのことだった。丁度、上野あたりは桜が見ごろになっていたので「今、上野の公園はちょうど桜の花が見ごろなのでぜひ行くといいですよ。」というと、「もちろん、桜も今回の旅行の楽しみの一つです。」とニコニコしながら答えてくれた。一応、「まだ、この時期は昼間は暖かくても夜になるとかなり気温も下がるので、厚めのジャケットなどは必ず用意した方がいいですよ。」とアドバイスをしておいた。

 そうこうしているうちに、「まもなく当機は着陸態勢に入りますので、座席を所定の位置に戻しシートベルトを締めて下さい。」というアナウンスが流れ、それから15分も経ったであろうか、私の乗った機は完全に停止し、シートベルトのサインが消えた次第である。

 40日振りの日本で、出発した2月の下旬よりは気温もかなり高くなっているのだが、連日30度を超すバンコクから帰国したので「まだ寒いな〜」というのは正直なところであった。入国審査も特に問題なく、最後の税関、つまり荷物の検査を済ませるのみであった。「別にマズいものは何も購入していないし…」と思いながら荷物を持って検査をしている列に並ぼうとしたとき、ふと「あれっ、あのDVDは処分したっけ?」となってしまった。もちろん、「あのDVD」というのは、最初にバンコク入りしたときに路上で購入した「君の名は」のDVDである。

 「どう考えても見つかればまずいよな〜」と思って、荷物を拾い上げたベルトコンベヤーまで少し戻ってバッグをあっちこっち探したら出てきたのである。「いや〜、危なかった!」と一安心し、私は近くにあったゴミ箱にほかの不要になったパンフレット(特に違法性はない)などともにDVDも捨てた次第である。

 荷物の検査官は、まだ20代と思われる若い女性であった。今回、10年振りの海外旅行なので、必然的に帰国時の荷物の検査も「10年振り」となる。「こんな若い女性も検査をするんだ…」と思いながら18sは超えていると思われるメインのバッグと手荷物であるデイパック(おそらく6sほどはあると思われる)を検査台の上に乗せ、パスポートを検査官に手渡した。私のパスポートを見ながらその女性の検査官はこう言った。

 検査官 : 「今回はバンコクに行かれたんですね?」

   私 : 「いや、バンコクだけではなくて…」

 検査官 : 「ああ、いろいろと回ってきたんですね?」

   私 : 「はい」

 そして、「さあ、どっちのバッグから始めるのだろう?」と思っていると、「じゃあ、けっこうですよ!」と私にパスポートを手渡したので、「えっ!あ、はい…」とあまりにも簡単に終わったので少し呆気に取られてしまった。過去にも「何も検査されなかった」ということも何回かあるが、10年ぶりの海外ということでその辺の感覚もすっかり忘れてしまっていた。もちろん詳しく荷物を検査されても特に問題があるようなものは所有していない。

 「しいて言うと」と言うのも何なのだが、カンボジアとタイで、もう日本では販売禁止となっているようなちょっと強めのレーザーポインターを購入している。ただ、所有が禁止されているわけではないので、海外で購入して日本に持ち込んでも問題はないはずである。まあ、「問題ない」という認識ではあっても「何か言われるかな〜」くらいの気持ちが多少はあったのも事実だが…。

 完全に入国してしまうと、すぐに階下にあるJRの切符売り場に向かい「成田エクスプレス」のチケットを購入し、20分後には乗客もまばらな成田エクスプレスの窓際の席に着座していた。天気は快晴で、東京駅に着く手前で車窓から東京スカイツリーをはっきりと見ることができた。

 最初は、新宿まで行くつもりでいたが、「そうか、東京から中央線の始発に乗った方が楽か!?」となり、東京駅から中央線に乗り換えた。途中で車窓から見えた神田川沿いの桜はちょど見ごろを迎えていた。そして、ちょうどお昼の12時に自宅に到着した。

・ 成田国際空港

 機を下りてから荷物の受け取り場所まで行く途中で撮ったもの。この日は雲一つない快晴であった。

・ 成田エクスプレスの車窓より

 成田エクスプレスは、一応、新宿までのチケットを購入したのだが、よくよく考えたら「東京で下車下方が乗り換えが楽か?」ということで、東京で下車して中央線に乗り換えた次第である。田舎者なので、東京駅も久しぶりに行くとキョロキョロしてしまう。

 

■ 次はいつになることやら… ■

 さて、10年振りの海外旅行だったわけだが、ある程度余裕を持って計画を立てたこともあり、あまりあくせくせず回ってこれたと思っている。ミャンマーは初めてであったし、ホーチミンとプノンペンは15年振りとなりかなり街の様子変わっていた。

 また、バンコクは10年振りで、「劇的に変わった!」というような所はないが、「こんなところに立派なショッピングモールができたんだ!」と驚くことはあり、スカイトレインや地下鉄の延伸に伴ってまだまだ開発は進むに違いない。

 さて、一応「最後の海外になってもいいように…」くらいの気持ちで行ったが、もちろん次の機会があるようであればまだまだ行きたいとは思っている。もし、また行く機会があるようであれば、今回のようにいくつかの国を回るようなことはないだろう。おそらく1つの国(/都市)に1週間から10日前後滞在する形になるにちがいない。候補としては

@ マニラ・フィットネス紀行:27年前に1度訪れているが、経済成長も進みかなり街並みは変わっているに違いない。

A 上海/香港フィットネスおよび卓球紀行:上海/香港はまだ行ったことがないので最有力候補の一つ。いずれにしてももっと卓球の腕を上達させないといけない。

B グアム・フィットネス紀行:近場の海外ということで選択肢の一つにしてみたが、ちょっと狭すぎるだろうか?もちろんリゾートホテルなどに滞在するつもりはない。

 などが挙げられる。まあ、場合によっては、またソウルや台北に行くという選択肢もあるわけである。いずれにしても「次はいつになることやら…」という感じはある。いや〜、楽しかった!