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トッピクス-バイク・国内ツーリング

 

 

 

 日立の友人Kの家にお世話になった後、青森で函館行きの青函フェリーに乗るまで、途中の山形県西村山郡のS、岩手県西磐井郡のK、そして岩手県の盛岡市のDのところにお世話になり、旅の最初は宿泊料という出費を一切出さずに済んだ。みなさん、その節はお世話になりました。それに、おそらく、お世話になるためのお土産なども用意していなかったように記憶している。みなさん、図々しくて済みませんでした。

 山形県西村山郡のK、毎年、年賀状のやり取りしているが、卒業以来確か会っていないような気がする。学生時代、初めて彼のアパートに遊びに行った時、机の横の壁にA4くらいの紙が貼ってあって「何だろう?」と見てみると、「友達をたくさん作る方法」とあり「陰で悪口を言わない」「良く話しかける」(確か、そんな感じであったと記憶しているが…)などといろいろと書いてあったのが記憶に残っている。

 彼は生まじめなところがあり、二人兄弟で次男なのだが、「家は長男に継がせなければならないので、僕は出ていかなければならない」というようなことを学生時代から言っていたような気がする。そして、有言実行をし、婿に行き、向こうの実家の家業を手伝っている。おそらく結婚に当たっては、そういう条件のところを探していたのだろう…。

 アルバムを見ると、岩手に入る手前で台風の影響で雨にあっているようである。よくよく思い出してみると、岩手県のKのところではかなり天気も荒れ、外出は一切せずにずっと家の中にいたような気がする。

 彼とは大学卒業後も、私が仙台に3年半住んでいたこともあって、その間は何回か会っているし、年賀状のやり取りも毎年行っている。

 去年の震災の直後にメールを入れたら、自宅の方への影響はそれほどでもなかったようなことであった。しかし、彼は学習塾を営んでいるのだが、そちらの方でかなりの影響が出た様子で、4月の時点で「今年は新入会の子が一人もいない!」とのことだった。その後、どうなったであろう…?こちらからは連絡を入れられずにいる。

 盛岡のDだが、クラブの後輩に当たる。なかなかひょうきん者で、学生時代は笑いを振りまいていた。大学を卒業後は実家に戻って家業を継いだはずである。その後、結婚もし子供もいるということをクラブの他の者から聞いていた。

 しかし、確か去年だったと思うが「去年、交通事故で亡くなっている」と連絡が入った。単独での事故だったようだ。本当に気の毒である。ご冥福をお祈りする。

 

 

 

備考