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トッピクス - 旅に出よう - 海外(その3)

 

 

 

・お茶畑

 

 

■ お茶畑 ■

 さて、ダージリンの最寄りの幹線の駅で夜行列車を下車しているわけだが、それが何と言う駅なのかは全く思い出せない。そして、おそらく下のバスに乗っている写真がその駅からダージリンに向かうものだと思われる。

 ダージリンでも日本人と共に行動している。夜行列車には一人で乗ったのは確実なので、列車内で知り合ったのか、または下車したところで知り合ったものと思われる。年齢的には私と同世代くらいだったと思う。覚えていることは、彼は教職に就いていて、北海道で地理を教えていると言っていたことだった。

 私たちが乗ったバスがダージリンに着くと、まずは宿を探すわけだが、ここではガイドブックに載っていた安宿にすんなりとチェックインすることができた。私達は荷物を置き、お茶畑を見学するために一旦宿を出た。しかし、標高が2,000mを超え、しかも12月の末なので、いくらインドと言っても気温はかなり低く寒い。おそらく10℃は下回っていたと思う。地理の先生はダウンジャケットを用意していたし、私もニューデリーで買ったセーターをもともと用意しておいたセーターの上に重ね着し、アウターとしてウインドブレーカーを着た。宿でも、ストーブには常に薪が入れられて、部屋の中を暖かくしていた。

 お茶畑に着くと、先生は「授業のためにいろいろと現地の人の作業に関して調べてみたいがどうも英語が苦手で…」と言いだした。まあ、私の語学力もたいしたことはないのだが、先生よりは通じるようだったので「私で役に立てるのであれば」ということで通訳をかってでた。

 少し山道を歩いていると、茶畑で作業をしている男性がいたので声をかけてみた。男性は作業の手を休めて、特に迷惑がることもなく「1日どれくらい作業をするのですか?」「作業で一番大変なことは何ですか?」などの質問に答えてくれた。そして、「ご自宅は近いのですか?」との質問に、「歩いて5分くらいのところなので寄っていきますか?」と自宅に誘ってくれたのである。

 私達は彼の後に続いて茶畑の間を歩いて行った。すると5分も歩いただろうか、彼が「ここが私の家です」と立ち止まったところには、「おそらく自分で建てたのかな?」と思われる小屋が建っていた。一歩足を踏み入れると奥さんがいて、彼が私達に紹介してくれたので「ハロー」と挨拶をした。記憶は曖昧なのだが、もちろん「広い家だ」という印象はなく、家は2部屋ほどに分かれていたように思う。

 入口から入った部屋が土間となっていて隅には調理をするための釜が置かれていた。その奥の部屋がリビング兼寝室となっていたような気がする。印象に強く残ったのが、釜の横には棚があり、きれいに磨かれた銀色の食器類がたくさん置かれていたことである。確か4人家族だと思ったが、「こんなに食器が必要なのだろうか?」と思われるほどの数と種類で、彼らにとってはそれが一つの自慢でもあったようだ。

 「お茶を飲みますか?」と言ってくれたので、もちろん断る理由などはなかった。その場でお湯を沸かしてくれて、とても美味しいお茶を御馳走してくれた。

 先生はお茶を飲み終えると、肩に掛けていたカバンから日本から持参したと思われるお土産を渡し、「撮った写真は送りますから」と住所を聞いた。そして、私達はお礼を言い、宿へと戻っていった。

 

 

備考