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トッピクス - 旅に出よう - 海外(その3)

 

 

 

・年越し

 

 

■ 年越し ■

 お茶畑を後にして私達は宿に戻った。実は、私達はツインの部屋に宿泊していた。記憶は定かではないが、おそらくシングルの部屋がなかったのであろう。一旦、部屋に戻ったのだが、、先生は体調を崩してしまい「横になりたい」と言いだした。私は、まだ日が沈むには時間があったのでブラブラと街中を歩いてみた、

 特に観光するようなところはなかったと記憶している。ただ、1つだけ収穫があった。それは、水餃子を出す店を発見したことである。「カレーも食べ飽きたし…」と中に入り水餃子のみを注文したが、これが何とも美味であり、思わずお代りをしてしまったほどだ。

 適当にブラブラしていると、日も沈みかけ気温も下がってきたので、宿に向かった。部屋に戻っても、先生は相変わらずベッドの上で横になったきりである。そして、私の記憶違いでなければ、各部屋に暖を取るストーブがあったわけではない。もしかしたら料金の違いによりストーブを備えた部屋もあったのかもしれないが、少なくとも私たちの部屋にはなかった。よって、部屋の中はけっこう冷えていた。体調を崩した先生にとっては好ましい状況とは言えなかった。

 さて、今日は12月31日である。1988年も今日で終わり、明日から新しい年を迎える。海外で新年を迎えるのは人生で初めての経験となる。会話もできないし、部屋にとどまるには布団に入っていないと私まで体調を崩しそうになった。ただ、寝るにはあまりにも早い時間だったので、私はストーブのある共用スペースに向かった。

 そこでは何人かの宿泊客(西洋人)と宿のおばさんがストーブの周りに座って暖を取っていた。私も空いているイスに腰を掛けた。宿のおばさんに「もう一人の人は大丈夫なの?」と聞かれたが「まだ、あまり良くないみたい」と答えるしかなかった。

 すると、そこにアメリカ人のカップルが加わった。男性の方が、「ほら、今日は今年最後の日だよ!」と手に持っていたバッグからビールを何本か取り出した。宿のおばさんは、すぐ後ろにある食器棚からコップを取り出して「はい、これ使って」とみんなに配ってくれた。

 もちろんおつまみなどはなく、ビールだけで酒盛りは始まったが、それぞれが飲めるビールはコップ2杯程度でその年最後のお酒にしてはあまりにも少なすぎた。そこで、私はビールを買ってきたアメリカ人にお店の場所を聞き、ビールを買うために宿を出た。

 店は宿からそれほど離れたところではなかった。大瓶のビールを5本ほど買って、デイパックに詰めて再び宿に戻り、ストーブの周りにできた輪の中に加わった。それほどの賑やかさはなかったが、それでも確実に1988年という年は終わりを迎えようとしていた。

 さて、この後のダージリンの記憶はすっかり無くなっている。私は、ダージリンの次はバラナシに向かっていて、先生とは行動を共にはしていない。彼は、学校の冬休みを利用してインドに来ているので、一般のサラリーマンよりは時間が取れるのであろうが、インドは列車の移動が中心になるので、そんなにあっちこっち見て回れる旅でもなかったであろう。帰国後は、彼から手紙をもらい、現地で撮った写真が同封されていたので、無事に日本に帰ったと思われる。

 

 

 

備考