四方山話

      

     

タイ・マレーシア フィットネス紀行/四方山話




明らかに「外れ」であったK.H.Residence

 今回の旅行はバンコクの最初の5日間、プーケットの5日間、マレーシアの1週間の宿はインターネットを通じて予約を入れておいた。本当に便利な世の中になったものだ。簡単に宿泊地の予約はできるし、「internet caf?」があるところであれば、メールのやり取りは自由で、日本で何が起きているのかもすぐに分かる。
  しかし、軟弱になったものだ。今までネットを通じてホテルの予約などしたことはなかった。(もちろん一昔前はネットなどなかったが…)
  重いバックパックを背負いながら、片手にはデイパックを、そしてもう一方の手には「地球の歩き方」持ってその日の宿を探したものだ。
  事前に予約を入れていくというのは、便利な反面、自分の目で確かめてから宿を決めることができないというマイナスの部分もある。
  「乾季」であるプーケットは観光シーズン真っ盛り、いわゆる「High season」で、この時期はホテルやゲストハウスなどの宿泊料金が一番高くなる時期。「Low season」と比べると倍近くなるのではないだろうか。
  自分なりにホテルのホームページを見て、料金や設備、ビーチまでの距離を考慮して、いくつかのホテルにメールを入れてみたのだが、返事は一様に「空室なし」との答えであった。
  そこで、プーケットに、日本人が経営するダイビングショップがあり、そこのホームページを通じても宿泊所をいくつか紹介していたので、よさそうなのを1つ選び、「宿泊したい」との内容のメールを送ってみた。
  「そこは満室だが、K H Residenceなら空室がある。」との返事だった。そこで、ホテルのホームページを見ると「ビーチまで数分、部屋からはビーチが見渡せる。(部屋は海側と丘側の2種類あり)」と、それなりの内容だったので、そこに決めたのである。ホテルを選ぶことにあまりエネルギーを使いたくなかった。
  予約を入れたのが12月の半ば過ぎ、この時期でもいくつかのホテルから「満室」と宿泊を断られている状況から、海側の部屋に宿泊できるとは期待していなかった。
  プーケット国際空港から乗ったミニバスがK H Residenceに着いたのは夕方4時近かった。ミニバスから荷物を取り、受付に向かいチェックインしたい旨を伝えると、「103号室」の鍵を渡され、「この廊下の先の左の部屋」とのこと。
  そんなに大きな宿ではない。たぶん部屋数も15前後といったところではないだろうか。私の103号室は受付から10mほどしか離れていなかった。ドアに鍵を差し込む時点で、海側、丘側の位置関係は分かっていた。丘側の部屋である。
  部屋のドアを開け中に入ると、広さはそれなりにあった。シングルのベッドが2つ、テレビ、小さな冷蔵庫、デスク、洋服入れ(その中には小さなセイフティーボックスが備え付けてあった。)、トイレ兼シャワールーム、それから一応バルコニーがあり机とイスが2つ置いてあった。
  もちろん一人旅には十分すぎるほどの広さであったが、1泊もすると、いろいろとマイナスな部分が見えてくるものである。
  まず、清潔感や安心感に欠けていた。築どれくらいの建物かは分からなかったが、15年以上は経っているように思えた。仮に15年としても、築15年の建物を築1、2年の建物と同じように「きれいに」維持していこうというのは無理な話である。
  ただ、築15年でもしっかりと手入れをしていれば、それなりに宿泊しているものには伝わるものである。
  しかし、ここではそれが一向に伝わってこなかった。壁や廊下のシミはある程度は仕方がないにしても、部屋のドアのチェーンロックは壊れていて全く機能していない。
  洋服ダンスを開けたときに、「バン!」と大きな音がして何かが落ちたので、びっくりして見てみると、引き出しの前の部分の板が床に落ちているではないか。よくよく見ると、釘で補修したような後があるが、全く効いていない。
  細かい部分を挙げていくときりがない。また、窓は2面についている。1つはバルコニーがある面で、ほぼ1面が窓になっている。もう一面には畳半分ほどの大きさのものがついているが、開けても、すぐ横にある木で囲まれた駐車スペースが見えるだけで、とても開放的とは言い難い。
  バルコニーに面しているほうは大きいので、開ければそれなりに開放感は得られるが、すぐ脇を頻繁ではないが、車が通る。この時期乾季のため、道路は乾燥しているので、舗装をされていないその道は、車が通ると砂埃を舞い上げることになる。
  そして、このホテル自体、丘を切り崩して建てているため、そのバルコニーから見える景色は、草が生えた「壁」に近いもので、とても「眺め」と呼べる代物ではない。
  一番大切な「接客」であるが、やはり「もてなそう」精神が欠けているのである。結局は全てがそこから来ているような気がする。海側、丘側などの物理的な条件はどうにもならないが、「もてなそう」精神がもっとあれば、チェーンロックやタンスの落ちた部分だってしっかりと補修されているはずである。
明らかに「ハズレ」であった。「せっかくプーケットまで来たのに。ビーチまで来たのに。」という思いがメラメラと沸き起こり、「よっしゃ!もっといいところに泊まってやる!」と意気込んだ。
  ここの宿泊料金(1泊1,400バーツ、日本円で約4,760円、5泊で23,800円)はすでに全額日本で振り込んである。よって、途中で宿を別のところに変えたからといって、払ったものは戻ってこないであろう。しかし、そんなことはこの際どうでもいい。覚悟の上だ。「リゾートを満喫したい!」という気持ちが膨らんでいった。
  カタビーチのメインストリートにはツアーなどのチケットを扱っている代理店がいくつもあった。そのうちの1つに足を踏み入れ、そこにいたインド系のお兄ちゃんに相談してみたのである。
  「いやー、まいったよ。今の宿さ、ひどいんだよ。それでさ、ちょっとくらい高くてもいいから、別のところにしようかなと思っているんだけど、いいホテル知っている?」
  そのお兄ちゃんは、「そりゃ、大変だったな。」みたいな感じで、こう言うのである。
  「今の時期、ハイシーズンで一番混んでいる時期だよ。どこもいっぱいだよ。まー、1万バーツくらい払えるんだったら、良いところを紹介してあげられるけど…。」
  「1万バーツ?!」私は大きな声を上げてしまった。日本円にすると、34,000円くらいになる。予想もしていない金額であった。私の頭の中では10,000円から15,000くらい払えば、少しはまともなところに泊まれると甘く見ていた。お手上げである。これはあきらめるしかない。悪い環境を自分なりに良い環境に変えていくしかない。不平不満ばかり言っていても何も変わらない。
  「そうか…。分かった。ありがとう。」
  と力無げに礼を言って、そこを出た。
  腹もグーグーと鳴ってきたので、近くにあった安そうなレストランで食事をすることにした。
  テーブルについて、メニューをパラパラとめくっていると、「飲み物は?」と聞くので「ビアチャ―ン(チャンビール)」というと、応対してくれたオバちゃんは目を丸くして驚いているのである。
  「タイ語が話せるのか?」とタイ語で聞いてきたので(片言のタイ語を使うと「タイ語が話せるのか?」と何回かタイ語で聞かれているので、「タイ語が話せるのか?」というタイ語は理解できるようになっていた。)「マイダイ、二ッノイ(できません。少し)」とちょっと矛盾した答えではあるが、そう聞かれた場合はいつもこう答えていた。
  そのオバちゃんは、今の「ビアチャ―ン(チャンビール)」という発音は完璧だった。まるでタイ人のようであったと私に言ってくれた。
  喜んでよいのかどうか分からないが、このころにはビールの名前だけは完璧にタイ語で発音できるようになっていたのである。



 

宿泊した部屋。別途はシングルが2つあった。パソコンの打ち込み作業がしやすいように、いつも一つずらして使用していた。



テラスの部分。テラス側が明るいので、昼間はパソコンをテラス側に置いて、打ち込み作業をした。



もう一つのベッドは荷物をちょっと置くだけ。フロアーも一人旅には十分の広さだったので、そこに荷物をばら撒いていた。



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