四方山話

インドシナ半島フィットネス紀行/日記 - カンボジア

 

「 カンボジア基本情報 」


 ベトナム同様、15年ほど前に1度訪れている。その時は、タイのバンコクからアンコールワットのあるシエムリアップに飛行機で移動し、シエムリアップから首都のプノンペンまではトンレ・サップ湖およびトンレ・サップ川をボートで移動している。

 もちろん、アンコールワットは当時から非常に有名で「カンボジア=アンコールワット」と言っても過言ではないくらい観光の目玉となっていた。それから、個人的には、かなり前のことと思われるのだが、「NHKスペシャル」でトンレ・サップ湖(東南アジアア最大の湖、面積は琵琶湖の約4倍)について取り上げていたのを興味深く見ていて「機会があったら一度見てみたいな〜」と思っていた。

 さて、それから15年が経ったわけである。その間、経済成長も持続性を見せ、人々の暮らしもかなり変わってきていると思われる。今回は首都のプノンペンだけの訪問になるが、3年前には巨大なイオンモールなどもできてかなり賑わっていると聞いている。初めて訪れたときと比べてどれくらい変わっているのか見てみたいと思っている。以下がカンボジアの主な基本情報となる。

 国 名 :カンボジア王国 :Kingdom of Cambodia

     ※ 立憲君主国家でASEAN加盟国

 国 王 :ノロドム・シハモニ(生:1953年、2004年より在位)

 国 旗 :中央にアンコールワットを配置したもので、色で言うと、青は王権、赤は国家、そして白は仏教徒を表している。1993年王政復古の際に制定されたもの。

 首 都 : プノンペン

 首 相 : フンセン(生:1951年、1998年より在任)

 人 口 : 約1,514万人(2013年時点)

 民 族 : クメール人(全人口の約9割)

 通 貨 : リエル

 

【 歴 史 】

 さてさてベトナムに続き苦手とする歴史である。以下が2分でわかる「超短、カンボジアの近・現代史」となる。なるべく正確性を期したつもりだが、「違っていたら、ごめんなさい!?」です。まあ、「流す」感じで読んでいただければ幸いです。

1863
フランス帝国の保護国となる
1953

完全独立

第二次世界大戦中は日本軍によって占領されるが、1945年独立を宣言

1970

親米派のロン・ノル将軍がクーデターによりシハヌーク国王を追放し、クメール共和国を樹立した。

1975

極端な共産主義者のポル・ポトがクメール共和国を打倒し、民主カンプチアを樹立。

原始共産制の実現を目指すポル・ポトの政策の下、旱魃飢餓疫病虐殺などで100万人〜200万人以上とも言われる死者が出る。。

1978

カンプチア人民共和国の樹立

ベトナム軍とカンプチア救国民族統一戦線が、対立していた中国派の民主カンプチアに侵攻しポル・ポト政権を打倒する。しかし、その後も諸派間の対立は続く。

1993 民主選挙の実施
1999 ASEAN加盟

 

【 言 語 】

 カンボジアで話されている言葉はクメール語(カンボジア語とも)である。そして、そのクメール語を表記するときに用いられるのが表音文字のクメール文字となる。以下は子音字(全33文字)の一部。

【 経 済 】

 以下は「世界経済のネタ帳」に掲載されている数字を用いて作成したグラフになる。

・オレンジは一人当たりの名目GDPの推移で、単位は米ドルとなる。

・ブルーは実質GDPの成長率の推移で、単位は%となる。

 ※2009年度の伸びがほぼゼロに等しい理由は不明。

 

 以下は「三菱UFJリサーチ&コンサルティング」のサイトの解説文を引用したもの。

 

 過去20年間のカンボジアの経済成長の牽引役は、主に、輸出向け縫製業を中心とする製造業と観光業を中心とするサービス業であった。足元の景気拡大は、原油価格低下の恩恵も受けている。

 

 リエルという独自通貨があるにもかかわらず、金融・商業活動における取引で米ドルが広範に使用されており、国内経済が、事実上、「ドル化」している。

 

 投資先としてのカンボジアの大きな魅力は人口動態面にある。国連の人口予測では、労働力人口が2070年まで増え続け、総人口も2080年まで増え続けるとされている。